ぐりぶーだぶ~! おやっとさぁ~!
今回は、薩摩川内市入来(いりき)町にある入来麓武家屋敷群(いりきふもとぶけやしきぐん)を訪ねたレポートだぶ~。
入来麓武家屋敷群は、中世の佇まいが今も残る武家屋敷群なんだぶ~。 馬場(通り)に沿って続いている玉石垣(たまいしがき)は、周囲を流れる清色(きよしき)川の川石を運んで、積んで作られたんだって。
これは、茅葺門(かやぶきもん)と言って、鎌倉時代の様式で作られていると言われているんだぶ~。 入来の茅を集めて、地元の職人さんたちが茅を葺き替えたんだぶ~。
広いお仮屋馬場(オカイヤンババ)を歩いていたら、「史跡 清色城跡」と書かれた石柱があったぶ~。 清色城(きよしきじょう)跡は、入来院氏の城跡で、シラスの地形を巧みに利用した山城跡なんだよ。
ところで、この石段の上には、何があるんだろう?
気になるから、上ってみるぶ~。
上った所にあったお城みたいな建物は、
今年で、創立145周年になる入来小学校なんだ。
入来小学校が今ある場所は、入来院氏の地頭館(お仮屋)だったんだって。
入来院氏のルーツは、相模国(今の神奈川県)渋谷庄の渋谷氏なんだぶ~。
1247年、宝治合戦(ほうじかっせん)の恩賞として、渋谷氏が薩摩国の5つの地に、長男以外の5人の息子を、それぞれ、地頭職として下向させたんだぶ~。
入来院は、5男の渋谷定心が治める事になって、その子孫が入来院と名乗るようになり、鎌倉時代から明治時代まで、一時期を除いて、入来院氏がずっと統治したんだって。
ところで、入来と関係の深い人物に、福島県二本松出身で歴史学者の朝河貫一博士がいるよ。
アメリカのエール大学教授だった博士は、1919年に入来を訪れ、入来院家に伝わる入来文書を研究、後に『The Documents of Iriki』を発表して、世界的に有名になった方なんだぶ~。
<<後編に続く>> 【記事協力:謎のおごじょさん】